【散文詩】有無

茶店に入ったんです。店の奥の席に2人向かいあって座ったんです。メニュー表が有りまして、そこになんやかんや書かれとんのですわ。店員に注文をお願いしました。私はコーヒーとプリンを、あなたはアルコールとアヒージョを。暫くして注文の品々がやって参りました。あなたはアヒージョを食べとります、浅い小さな鍋の中で色々放り込んだ食べ物。アヒージョやてアヒージョ。ようわからん食べもんやでな。私もプリンを食べるんですわな。プリンやてプリン。アヒージョもプリンもわけわからん食べ物やなぁと思います。アヒージョとプリン、2つ並べてアヒージョもプリンも見たことも聞いたこともない人に差し出して「どちらがプリンで、どちらがアヒージョでしょうか?」と質問して答える事が出来る人がいるだろうか。どちらにも名前がございます。アヒージョという名前が有ります。プリンという名前があります。世の中のものには全て名前がございます。名前が無い事は意味を持たないという事と等しいのです。ところで私たち2人は『恋人』という名前の関係でございます。というかプリンに添えられたシフォンケーキが多いことよ。これじゃどっちが本命かわからんでな。プリンよりもシフォンケーキが多いんだもの。然しプリンの食べ方はよくわからん。噛むのか、飲むのか、舐めるのか。食べ方に答えなんか有るんか?
あなたはアヒージョとやらを食べて美味しいって笑いました。私もプリンを食べて美味しいと笑いました。そこに笑顔が有りました。笑顔って、笑顔やね。そう笑顔。笑った顔でございます。笑顔には起源が有ります。その起源を辿ると笑顔はどうやら威嚇行為らしいんよね。口角を上げて歯を露出させる一連の行為、笑顔。それが威嚇やてさ。怖いもんやで。この店の中にはそれぞれの笑顔がございます。このお客さんの中に笑顔の起源を知ってる人は何人おるんやろね。威嚇の行為って知ってて、笑ってるんかね。あなたは笑っております。私も笑っております。それは威嚇で有るのか?威嚇で無いのか?笑顔が無くなった世界で人はどうこの感情を表現するんだろうかいね。摩訶不思議である。
私はコーヒーに砂糖を入れます。砂糖の入った瓶。砂糖をサーッと入れるんすわ。砂糖が整列して瓶の小さな穴からびゃーっと、1粒1粒が綺麗にコーヒーの中に入っていきます。コーヒーの中に砂糖が有ります。ティースプーンで私はコーヒーを混ぜます。次第に砂糖はコーヒーの中で溶けて無くなります。それを私は飲みました。甘いです。砂糖が苦かったら、そりゃ困ります。世界が爆発します。深刻な問題です。
小休止。
煙草が有ります。ライターが有ります。二人は煙草に火をつけてました。沈黙が有りました。黙り、が有りました。あなたは虚空を眺めとります。右上辺りですね。そこに何がありますか?なぁなぁ、そこに何があるんか教えて下さいよ。文字でも探してますか?言葉でも探してますか?音でも探してますか?煙草の煙の行方はどこでございますか?私の視線も虚空でございます。私は特に何も探してはございません。虚空の中にあなたが有ります。沈黙有り、虚空有り、そこにあなたが有ります。私はそれを眺めております。そこに私の幸せが有ります。私は自分の視線を手元に向けますと人差し指に指輪が有ります。私はそれを弄ります。クルクル回しとります。シルバー925、純銀の指輪でございます。銀の融点は約900度でございます。私たち2人の融点は何度でございましょうか。あなたの融点は?私の融点は?沈黙の融点は?言葉の融点は?笑顔の融点は?心の融点は?そこに融点は有りますか?愛に融点は有りますか?有ったら便利でしょうか?不便でしょうか?あなたが溶けて無くなったら、困ります。あなたが無いのは、困ります。無くなったら痛いです。痛みが有ります。その痛みが、ふいに紙で指を切った時の瞬間的な痛みなのか、煙草で火傷した時の鈍い痛みなのか、それは今は考えない事にします。痛みは無いです。有りません。痛みが有るのなら私は咽頭が叫びを上げ半狂乱、卒倒してしまうでしょう。
目の前にあなたが有ります。あなたの世界が有ります。あなたの前に私が有ります。私にも世界が有ります。
さて、そこに名前は有りますか?

そろそろお店を出ましょうね。