安心は水槽の中。

仕事を終え、いつものように喫茶店へ向かう途中街の異変に気付く。やたらと浴衣姿の女の子が多い。あぁ、なるほど、と思う。祭りだ。忌々しい祭りの季節が来たのだ。
浴衣姿のカップルと仕事終わりの私。この温度差。非常に辛い。

そんなことはさておき、祭りで思い出した事がある。
これを読んでいるのあなたは金魚すくいとやらをしたことがあるだろうか。多分誰でも一度は経験したことがあると思う。私も一度だけある。
私は金魚すくいが苦手。いや、怖いと言った方が合っているのかもしれない。見るのは良い。でもそれをしたくないのである。
幼い頃、爺さんに連れられて行った田舎の祭りで『ひよこすくい』なるのもを見たことがある。(今は全く見なくなったし私もひよこすくいを見たのはそれが最初で最後だった)
大きな四角い箱の中で動き回る大量のひよこ達、それを見てはしゃぐ同い年くらいの子供たち。それを見て私は瞬間的に『こわい』と思った。ひよこは可愛い、それはわかる。でも大量に居るとこわい。幼いながらに量の多さとそれにはしゃぐ子供、それを見て瞬間的にこわいと感じた。
爺さんに「ひよこいるか?」と聞かれて私は即答で「いらない」と答えたのを覚えている。
金魚すくいの何が苦手か今ならハッキリと言える。命をぞんざいに扱うこと、娯楽として命を扱っていること、そして何より私がその小さな命の世話をし、その生き物を幸せにしてやる自信の無さからくる恐ろしさ。考え過ぎかも知れないが、倫理的にどうなの?とも思ってしまう。でも否定はしない、商売だものね。

そんな私も一度だけ金魚すくいをしたことがあるわけです。たった一度だけ。小学六年生の時、仲の良かった女の子とお祭りに行った時である。高橋という子だった。

祭り会場の待ち合わせ場所で合流して屋台を見て回った。

浴衣姿の高橋が金魚すくいの屋台を見つけて駆け出したのでドキッとした。まさかと思った。
「ふみ、金魚すくいしよう」
満面の笑みで言われてしまった。

金魚すくい、しよう。

あの時、したくないと言えばよかった気もしなくは無い。今の私なら即答で断って居るが当時の私は高橋にノリが悪いと思われるのが嫌だったのだろう、私は頑張って金魚すくいを高橋と一緒に行うことにした。はしゃぐ高橋、その隣で笑顔を作る私。
私はもちろんすくう事はしなかった。自然に見えるように、私は紙に穴が開ようにわざと勢いよく金魚をすくった。綺麗に紙に穴が空いた。ホッとする。良かった、金魚の世話なんてしたくない、小さな金魚だが命は命だ、私に扱うことなんて無理なんだ。ごめんな高橋、私は金魚すくいしたくないんだ。そんな事を思いながら穴のあいたすくう道具を屋台のおじさんに手渡した。
その時おじさんは私に向かって言った
「残念だったね二ィちゃん。おまけで3匹金魚やるよ!!」
私は凍りついた。
要らない、要らない、要らない、こわい。
おじさんの優しさが私には鋭利な刃物だった。おじさんは3匹の綺麗な金魚の入った袋を手渡してくれた。頭の中が真っ白になった。どうしよう金魚、私みたいな人間にこの子のお世話は出来ない、どうしよう。それで頭がいっぱいだった。そんな私の横ではしゃぐ高橋。どうやら高橋もダメだったらしくおじさんに金魚をおまけして貰ったようだった。
その後、二人で花火を観た。
祭りのフィナーレを飾る花火の最中『どうしよう、金魚、飼うか?なけなしの貯金を全て出して大きな水槽買うか?どうする、川に逃がすか?どうする。どうしよう。』と永遠と考えていた。そんな事を考えながら観る花火はちっとも綺麗には見えなかった。
祭りが終わり、高橋と別れる時間がやってきた。
私は高橋に思い切って切り出した。(高橋の家には立派な水槽があり熱帯魚や色んな観賞魚を飼っているのを知っていたので私は金魚達を託すことにした)
ふ『高橋、金魚あげる。』
高『なんで?』
ふ『ほら、金魚もお友達が多い方が幸せじゃない?あげるよ。』
高『やった!ありがと!』
なにが、金魚もお友達が多い方が幸せじゃない?だ。都合のいいセリフで美談にしたてあげた狡い人間なだけじゃないか。それでもやはり小さな命と向き合う事が私には恐ろしく苦痛だった。
高橋は喜んで受けってくれたが私の心持ちは晴れなかった。
高橋と別れた後の帰り道は罪悪感に襲われて酷いものだった。

夏が終わり秋を迎えた頃高橋の家に遊びに行くことがあった。
『お邪魔します』
リビングに通された。久しぶりの高橋の家、相変わらず沢山の観賞魚が水槽で泳いでいる。
私はその子達をボーッと眺めていた、そして思い出した。あ、夏祭りの時の金魚、どうしたんだろう。私は高橋に金魚があの後どうなったのか聞くか暫く迷っていた。
すると高橋は私に言った
「ふみ、こっち来て」
導かれて高橋の部屋へ向かった。机の横に小さな水槽が置いてあった。
「これ、ふみがくれた金魚だよ。」
水槽の中には綺麗な金魚達が居た。私は水槽の中で幸せそうに泳ぐ金魚を食い入るように観た。私が押し付けた金魚達を高橋は大切に育ててくれていたようだった。良かった、良かった、高橋ありがとう。私は心の中で何度も感謝した。

 

あれから何年も経ったが未だに私は金魚すくいが苦手である。
私が高橋に押し付けた金魚、もう流石に生きて無いだろうな。
今頃天の川でも泳いで居るのだろうか。