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Before美しい After綺麗

『季節は巡るねぇ』と声に出してしまった四月。
世間は春らしいが私には春らしい春は全くと言っていいほど訪れていないわけで、冬の延長にある春がただ、勝手にやって来ただけで、別れも無ければ出会いもない今を過ごしている。
テレビやラジオから聞こえてくる『新年度』『新社会人』『入学式』などのワードを聞くと、受け入れたくなくても春という季節感を強制的に身体に叩き込まれる訳で…
しかし、私は『まだ冬ですし?マフラーも手袋もしていますし?春?知らんなそんなもん。』と足掻いている最中だったりする。

いや、事実、春はまだやって来てないんですよ、私の街には。
春らしい春を感じられない最大の要因は桜が未だに開花していないからなんですよ。

社会人になってから、見る機会をまるっきり無くした桜の花。
桜の花に対して、というか、それに関わらず世の中のありとあらゆるモノに纏わる感情に付いて頭を抱えている事が一つありまして。
何かに対して『美しい』という感情が全くと言っていいほど湧かなくなっているのである。
綺麗だなぁと思うことはある、しかし美しいと思うことは無い。
各々、解釈や感じ方はあると思うが、個人的に『綺麗』と『美しい』は違う感情だと思うのです。

ここ数年、桜の花を見て『美しい』と思うことがなくなった。勿論、綺麗だとは思う、でも美しくは無い。

美しく思えないのは何故だろうなぁと暫く頭を悩ませて考えてみた。

美しいと感じた桜の花は1度だけある。
小学校の入学式の時に幼馴染と一緒に見た桜の花だ。
あの桜の花は本当に美しかった、幼ながらにそう思った。今でも鮮明に覚えている。
恐らくあの時、あの瞬間、あの場所で、私は『美しい桜の花』を無くしたんだと思う。
あれ以来桜の花を美しいと思った事は無い。

『美しい』という感情はおさらく、綺麗+特別な状況から生まれるものなんでしょうね。
あの時入学式であった事、大好きな幼馴染と桜を見れたこと、それらが桜の花を美しいと感じさせたんだろうね。

しかし、幼い頃はこう、見るもの全てが高解像だったような気がする。パンフォーカスでシャープネスギチギチって感じ。
全てが美しかった気がするね。
歳を重ねるということは鈍感になっていく事なのかもしれない。
自然の家で観た夜空の星の美しさ。好きだったあの子の泣く顔の美しさ。ホールに響くオーケストラの聴覚的な美しさ。
幼い頃にある程度の『美しい』は消化されてしまったんだろうな。切ないな。

嗚呼、歳をとりたくない。
感性が鈍くなるのは恐ろしい。

改めて桜の花を美しいと思う時は来るのでしょうかね。
これからの人生、美しいを見聞きする時はあるんでしょうかね。
不安になってきた。
無いと困る。有ってくれないと。

あ、桜の花言葉は『純潔』らしいです